授業の解答と解説/国語Lv3

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○×問題

 ことわざで「木に縁りて魚を求む」といえば、見当ちがいという意味である?

  • 木に登って魚を捕ろうとするようなものだということで、間違った手段を取っては何かを得ようとしても得られないということ。方法を誤ると何も達成できないということ。
  • 類語に「畑に蛤(はまぐり)」

 マーク・トウェインの小説「トム・ソーヤの冒険」の舞台となったのはミシシッピ川である?

  • 『トム・ソーヤーの冒険』(トム・ソーヤーのぼうけん、The Adventures of Tom Sawyer)はアメリカの少年達に愛読されている、1876年に発表された非常に有名な物語である。
    マーク・トウェインの筆による少年期のすり傷や冒険の活発さに溢れる物語は、刊行当時から30〜40年前のミズーリ州セント・ピーターズバーグを舞台に繰り広げられる。そこでトム・ソーヤーや親友のハックルベリー・フィンは、教室で虫けらを使って競争したり、女の子すなわちベッキー・サッチャーの関心を惹いたり、校庭で取っ組みあいや軽業を行ったり、洞窟の中で迷子になったり、ミシシッピー川で海賊ごっこをやるなど、多くの少年が夢想する類の冒険を行う。
  • この本の中で最も有名なエピソードの一つは、トムが自分に課せられた退屈で面倒くさい塀の石灰塗りの雑用を、いかにして自分の友人達にやらせるよう説き伏せるかというくだりである。

Wikipediaより抜粋

 足がとても早い人のことを、韋駄天という?

  • 韋駄天(いだてん)は、仏教の仏(天部)の一人である。もともとは バラモン教の神「スカンダ」(シヴァ神の子、ガネーシャ神の弟)とされる。仏教に入って仏法の守護神となり、特に伽藍を守る神とされている。また小児の病魔を除く神ともいわれる。
    捷疾鬼が仏舎利を奪って逃げ去った時、これを追って取り戻したという俗伝から、よく走る神として知られる。転じて、足の速い人のたとえにされる。

Wikipediaより抜粋

 「史実」といえば「顕実」の反対語である?

×

  • 史実とは、歴史上の事実。
  • 顕実という言葉はないが(誤植?)「顕事」(うつしごと)という言葉には、現実の事。現世の出来事、という意味があり、顕という言葉自体を漢和辞典で引くと「あらわ」と来ることから、反対語となる要素が見受けられない。

 「情けは人の為ならず」とは、情けをかけることは結局その人の為にならないのだからやめるべきだ、という意味である?

×

  • 「情けは人の為ならず」とは、情けを人にかけておけばそれがめぐりめぐって、いつか自分にもよい報いが来る。だから人には親切にせよ、という内容のものである。現在使われている意味は誤用である。
  • 「情けは人の為ならず、めぐりめぐりて己が身の為」という下の句が忘れ去られてしまった説や、実は「情けは人の為にあらず」が訛って「情けは人の為ならず」となったまま現在に伝わり、意味が曖昧に為ってしまった等の説など、諸説あるが、このような影響で意味が逆転されて運用されがちである。
  • 但し、言語とはナマモノであり、史実的観点からすると間違いではあるが、意味がこのように消滅してしまったり逆転、変化してしまったりするケースは多々ある。
  • 後半が忘れられてしまった説で有名な物と言えば、他に「井の中の蛙大海を知らず、されど天の深さを知れり」というものがある(つまり、前半だけでは単なる世間知らずを指した言葉になるが、後半をあわせると、脇目もふらずにただ1つを究めたという意味にも取れるというものである)。

四択問題

 「まだ一度もなかったこと」を表すことばは、次のうちどれ?

未曾有

  • 未曾有は、奇跡の意味のサンスクリット語「adbhuta」が漢訳された仏教用語で、仏の功徳の尊さや神秘なことを賛嘆した言葉であった。
  • 日本では「未だ曾て有らず(いまだかつてあらず)」と訓読され、本来の意味で使われていたが、鎌倉末期には原義が転じて、善悪の両方に用いられるようになった。

 「幾何」を訓読みすると?

いくばく

  • 訓読みの「いくばく」は、中国語の幾何に日本語に対応する言葉をあてたもの。
  • 音読みは「きか」。
  • 「幾何」は中国で造られた言葉で、 geometry の geo の音訳である。
    • なお、英語のgeometryは、ギリシャ語のgeo(地球、土地)+metry(測定)が語源。

 H・G・ウェルズ作「宇宙戦争」地球に侵攻した火星人が滅んだ原因は?

微生物に感染

  • 「宇宙戦争」の原題は "The War of the Worlds"(1898年)。
  • 内容としては、20世紀の初めに火星人が地球に到来し武力で侵略する様子を、英国人男性による回顧録の形で書かれた作品であり、SF作品の古典的名作として知られている。小説冒頭や本文中で語られているように、他の民族に対して破壊行為を働いてきたヨーロッパ人に対する文明批判が如実に見られる。
  • 100年以上も昔の古典であり、物語構成から考えても現代の科学文明からすれば稚拙にすぎない為、粗筋を提示しても特に問題ないと思われる為、内容を以下に印す。
    • 前日譚
      • 本作以前に発表された『水晶の卵』(The Crystal Egg)というH・G・ウェルズの短編がある。ロンドンの骨董店の店頭にあった卵形の水晶に不可思議な風景が見えるのを、その店の主人が発見した。知り合いの科学者が調査した結果、火星の風景と火星人の姿が映しだされており、逆に火星人からもこちらの様子が見えると判断され、火星人が地球の偵察のために送り込んだ物体であろうと思われた。しかし、さらに研究を進めようとした矢先、骨董店主人の死亡後に水晶は誰かに売られて行方不明となり、研究は頓挫する。ここに登場する火星人は人間に比較的近い形である。
    • あらすじ
      • 火星表面で炎が観測され話題になってから6年後、イングランドのウィンチェスター上空で流れ星が観測され、直径30ヤード(27.4メートル)ほどの円筒が落下した。「わたし」を含めた見物人が群がる中、円筒の蓋が開いて醜悪な生物が現れ、目に見えない熱線が人々を焼き払う。

        流れ星は次々に来襲し、家より背が高い3本脚の戦闘機械が登場、破壊の限りを尽くす。「わたし」は妻を引き連れ馬車で逃げるが、途中ではぐれてしまう。到着した英国軍も殺戮にあうが、砲撃で戦闘機械の1体に被害を与え、一旦は撃退に成功する。しかし火星人は液体のような黒い毒ガスと熱線を使う攻撃に戦法を変更し、軍を撃破してロンドンへと向かう。ロンドン市民はパニック状態で逃げ惑い、「わたし」の弟も暴漢に襲われていた女性らを助け、馬車と蒸気船で脱出した。

        「わたし」は、知り合った副牧師と共に逃避行を続けるが、廃屋に数日間閉じ込められ極限状態におちいって牧師を殴り倒したり、火星人にあと一歩で捕まりそうになったりするものの、なんとか生き延びる。15日目、様子がおかしいのに気づき外に出ると、火星人らは姿を消していた。

        「わたし」は以前出逢った砲兵と再会し、人類が負けた事と将来の事について話し合う。砲兵と別れたあと静寂に包まれたロンドンに入った「わたし」は、そこで戦闘機械を見つける。ついに死を決意し近づいていくが、そこでみたものは腐敗した火星人の死体だった。火星人を倒したのは人間の武器や策略ではなく、太古に造物主が創造した微生物であった。微生物に対する免疫がない火星人は地球に襲来し、呼吸し、飲食し始めた時から死に行く運命だったのである。

        やがて人々は舞い戻り、復興が始まる。「わたし」は約4週間ぶりに自宅に戻り、そこで妻と再会する。

最終更新時間:2006年03月09日 03時13分07秒
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