!!!○×問題 !!「テーラー」は、洋服屋や洋服店の意味がある? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}○{{span_end}} *tailor{{br}}【名】 テーラー、仕立屋{したてや}、洋服屋{ようふく や}{{br}}・ Because of my small size, I have to get my suits made by a tailor. 私は体のサイズが小さいので、スーツは仕立ててもらわなければならない。{{br}}【自動-1】 服を仕立てる{したてる}{{br}}【自動-2】 仕立屋{したてや}を営む{{br}}【他動-1】 〜をあつらえる、注文{ちゅうもん}して作る{{br}}【他動-2】 (婦人服{ふじんふく}を)紳士仕立てにする{{br}}【他動-3】 〜を合わせる、調整{ちょうせい}する{{br}}・ It is tailored to fit your changing needs. それはあなたの変化する必要性に合わせて調整される。{{br}}【発音】te'ilэ(r)、【@】テイラー、テイラ、【変化】《動》tailors | tailoring | tailored、【分節】tai・lor {{br}}{{sup EDP/スペースアルク 英辞郎 on the Webより抜粋}} !!外国の地名で「桑港」といえばサンフランシスコのことである? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}○{{span_end}} *元々、サンフランシスコのことを漢字で桑方西斯哥(ソーホーシスコ)と表記していたが、長い為これを略して「桑港」としたのが起源ではないかとされている。起源は日本であると考えられている。 *このような略字や意訳と音訳の混ざった短縮などは中国語が外来地名を漢字表記する際に非常に多く見受けられる。 **中国語をやっていた人なら少しピンと来ると思いますが、この桑方西斯哥という当て字、中国語読みすると、それっぽく聞こえてきませんか?この五文字の北京語でのピンインは、sang1fang1xi1si1ge1と表記しますがかなりに似ていますし、またこれに方言によるピンインの違いを許容すると、sang1(北京語)fang1(北京語)xi1(北京語)su1(客家語)ko1(台湾語)と、更に肉薄した音になります。日本人によって中国語読みの漢字が当てられた可能性があります。 **これが中国発祥でない根拠は一つあります。サンフランシスコは、旧金山と中国語で書くからです。 !!「汽車」という言葉は中国語では自動車の意味もある? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}○{{span_end}} *むしろ、中国語では「自動車」という意味である。面白いので複合技を幾つか紹介します。 **大衆汽車公司(VolksWagen) **通用汽車公司(General Motors) **大発汽車公司(ダイハツ) **広州豊田汽車有限公司(トヨタ自動車の広州における生産拠点となる広州汽車集団との合弁会社) !!「カボチャ」という言葉は、「カンボジア」が訛ったものである? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}○{{span_end}} *カボチャ(南瓜)は、ウリ科カボチャ属 Cucurbitaに属する植物の総称。原産は中南米という説が濃厚。果実を食用とする。 *「カボチャ」という語はポルトガル語の Cambodia abobora(カムボチャアボボラ、「カンボジアのウリ」の意)の後半が略されたものである。日本には、1541年に大分に漂着したポルトガル船が、大名の大友宗麟にカンボジア産のカボチャ(現在の日本カボチャ)を贈ったのが最初とされている。 *ちなみにカボチャは日本国内で年間約25万tが収穫され、このうち45%は北海道産である。 過去には65万t(1940年代)も作られた事もあったがその後減少。70年代に25万t程度に下がってからは微増傾向で現在に至る。 **じぇんじぇん関係ないけど、国語のLv1で天草四郎が出てきたのでキリシタンつながりで一ネタ。{{br}}大友宗麟もキリシタンである。大友宗麟のようにキリシタンである大名のことをキリシタン大名という。 !!クエスチョンマーク「?」は、元々、耳の形をかたどったものである? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}×{{span_end}} *好奇心旺盛な猫の尻尾と肛門がデザインの元になったという説が有力。 !!ことわざで「能ある鷹が隠す」と言われるものは「くちばし」である? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}×{{span_end}} *くちばしではなく、爪。 *「本当に能力がある者は、妄りにそれをひけらかすようなことはしない」という意味。{{br}}類語に「上手の鷹が爪を隠す」「能ある猫は爪を隠す」「大賢は愚なるが如し」。{{br}}英語の似たことわざに「Still waters run deep.」(静かな川の水は深く流れる)がある。{{br}}★略して「能鷹(のうよう)」ともいう。 !!大江健三郎が1958年に芥川賞を受賞したときの作品は「ヒロシマ・ノート」である? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}×{{span_end}} *大江健三郎が芥川賞を受賞したときの作品は『飼育』である。詳細は以下参照。 *大江健三郎は愛媛県生まれの作家、小説家。映画監督伊丹十三は義兄にあたる。{{br}}在学中の1957年、小説『奇妙な仕事』で「東大新聞」五月祭賞に入選。毎日新聞の文芸時評欄にて、平野謙に激賞された事が契機となり、学生作家としてデビュー。翌1958年『飼育』で芥川賞を受賞。障害児の誕生を主題として書かれた『個人的な体験』(新潮社文学賞受賞)のほか、『万延元年のフットボール』(谷崎潤一郎賞受賞)、『洪水はわが魂に及び』(野間文芸賞受賞)、『同時代ゲーム』、『新しい人よ眼ざめよ』(大佛次郎賞受賞)、『雨の木を聴く女たち』(読売文学賞受賞)、『人生の親戚』(伊藤整文学賞受賞)、『燃えあがる緑の木』などが代表作。評論に『ヒロシマ・ノート』、『沖縄ノート』など。 *1994年10月13日、川端康成に続く、日本人で2人目となるノーベル文学賞を受賞。受賞時の記念講演の題目は『あいまいな日本の私』。また、ノーベル賞の授与決定後に、文化勲章と文化功労者の授与が決定されたが、「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」として受章を拒否し、話題となった。 !!!四択問題 !!瀬名秀明著、「パラサイト・イヴ」「イヴ」の正体は? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}ミトコンドリア{{span_end}} *瀬名秀明氏は1968年生まれの日本の作家、SF作家、ホラー作家だが、小説の他にも、文芸誌や科学誌で、科学と人間に関したコラムや対談を多くこなしている。 *「パラサイト・イヴ」は氏が1995年に著した処女作であり、本作品で第2回日本ホラー小説大賞を受賞し作家デビューを果たした。 **粗筋:永島利明は大学の薬学部に勤務する気鋭の生化学者で、ミトコンドリアの研究で実績をあげていた。ある日、その妻の聖美が、不可解な交通事故をおこし脳死してしまう。聖美は腎バンクに登録していたため、腎不全患者の中から適合者が検索され、安斉麻理子という14歳の少女が選び出される。利明は聖美の突然の死を受け入れることができず、腎の摘出の時に聖美の肝細胞を採取し、培養することを思いつく。しかし、"Eve 1"と名づけられたその細胞は、しだいに特異な性質を露わにしていった…。 *ネタバレになるので、イヴがミトコンドリアである根拠についてはここでは表記しない。 *ちなみに、ミトコンドリアは、ほとんど全ての真核生物の細胞に含まれる細胞小器官である。1つの細胞内の数は、1から多いものでは数千個にもなる。形は球形から円筒形で、長さ10μm幅0.2μm程度。2重の膜からなる構造である。 *ミトコンドリアには、ミトコンドリア独自のDNAが含まれていおり、これをミトコンドリアDNA(mtDNA)と呼ぶ。また、リボソームも独自のものが含まれる。 *ミトコンドリアの主要な機能は電子伝達系によるエネルギー生産、すなわちATPの生成である。細胞のさまざまな活動に必要なエネルギーの95%以上は、直接、あるいは間接的にミトコンドリアから、ATPの形で供給される。現在、他の機能としては、カルシウム貯蔵、アポトーシス責任器官としての役割が指摘されている。 **ATP(アデノシン三リン酸)は、人間が活動の源である物質であり、生物体内の存在量や物質代謝における重要性から『生体のエネルギー通貨』とされている。 !!中国の賊がこもった谷に由来し盗賊のことを意味するのは次のうちどれ? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}白波{{span_end}} *中国。後漢の末期、2世紀後半から3世紀頃にかけて、黄巾賊(こうきんぞく)という盗賊集団(時の政権に対する叛乱軍でもある)が、黄河上流の「白波谷」という場所を根城としたことから、この賊徒の集団のことを「白波賊」という名前で呼ぶようになった。{{br}}このことから、泥棒のことを「白波」と呼ぶようになった。 !!最後の宣告をして、完全に諦めさせることを、何を渡すという? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}引導{{span_end}} *'''いんどう''' ―だう {{sub 3}}【引導】{{br}}〔仏〕{{br}}(1)人々を導いて仏の道に入れること。正しい道に導くこと。{{br}}(2)葬儀の時、僧が死者に解脱(げだつ)の境に入るように法語を与えること。{{br}}(3)導くこと。案内。{{br}}「―の山伏しかじかと申しける/太平記 27」{{br}}'''――を渡・す'''{{br}}(1)葬儀の時、僧が死者に迷いを去り悟りを開くよう説き聞かせる。{{br}}(2)最終的な宣告をしてあきらめさせる。{{br}}「今後一切面倒をみないと―・す」{{br}}{{sup 三省堂提供「大辞林 第二版」より抜粋}} !!「遠野物語」は誰の手によるもの? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}柳田国男{{span_end}} *柳田國男は、日本の民俗学を学問として構築した人である。その後農政学を学び、民俗学者となった。ちなみに、研究者の間でも間違えられる事が多いが、名前の読みは「やなぎ'''だ'''・くにお」ではなく「やなぎ'''た'''・くにお」である。 *ノンフィクション作家の柳田邦男とは別人である。 *柳田國男は、島崎藤村らの文学者と交友し、詩作から文学の世界に入った。各地の習俗に関心を持ち、狩人の伝承を記した「後狩詞記」や、岩手県の遠野に伝わる説話をまとめた「遠野物語」を発表した。 *「遠野物語」は、柳田國男が1912年(明治45年)に発表した説話集である。{{br}}岩手県遠野町(現・遠野市)出身の佐々木喜善によって語られた地元の民話を、柳田が編纂したものである。その内容は、河童や座敷童など妖怪に纏わるものや、神隠しなど怪談系のものを多く含む。{{br}}『遠野物語』本編は119話で、続いて発表された『遠野物語拾遺』には299話が収録されている。 !!明治33年、日本の教科書に初めて「シンデレラ」が登場。このときのシンデレラの名はどう訳されていた? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}おしん{{span_end}} *『シンデレラ』は、童話の一つ。また、その主人公。 『灰かぶり姫』(はいかぶりひめ)・『サンドリヨン』ともいう。{{br}}グリム兄弟によるもの(グリム童話 No.21Aschenputtel)、シャルル・ペロー(Charles Perrault)によるものが知られているが、元は中国にまで類話のある古くからの民間伝承である。 *児童向け作品として絵本・アニメなど様々な形で公表され、細部は異なるものの大筋としては以下のような話である。 **『継母とその連れ子である姉達に日々苛められ、王室主催の舞踏会にも一人連れて行ってもらえなかったシンデレラが、ネズミにかけられた魔法により衣装を与えられ、カボチャの馬車に乗って舞踏会に出ることができた。そこでシンデレラは王子に見初められるが、魔法の効力は深夜12時までであり、ガラスの靴を残して逃げ帰らざるを得なかった。王子はガラスの靴を手がかりにシンデレラを捜し当て、シンデレラは后として迎えられることになった』 *ペローによる『サンドリヨン』と、グリムによる『灰かぶり姫』の特徴については以下の通りである。 **'''ペローによる『サンドリヨン』(Cendrillon, Ou La Petit Pantoufle De Verre)'''{{br}}ガラスの靴を履かせ、カボチャの馬車に載せるというモチーフを付け加えたのが、フランスの文学者シャルル・ペローであるといわれている。 **'''グリムによる『灰かぶり姫』(Aschenputtel、KHM21)'''{{br}}グリム童話はペローの影響を強く受けているといわれるが、この物語に関してはペローのものよりも原話により近いのではないかといわれている。ペローとの違いとして主に{{br}} 1. 魔法使いが登場しない(当然、カボチャの馬車も登場せず、馬車もカボチャでない、代わりに白鳩が主人公を助ける){{br}} 2. 美しいドレスと靴を持ってくるのは、母親の墓のそばに生えたハシバミの木にくる白い小鳥{{br}} 3. ガラスの靴ではなく、一晩目は銀、二晩目は金の靴である{{br}} 4. シンデレラが靴を階段に残したのは、偶然外れたのではなく王子があらかじめピッチを塗っていたから{{br}} 5. 王子が靴を手がかりにシンデレラを捜す際、連れ子の姉たちはナイフで足(一方は爪先、他方は踵)を切り落とす{{br}} 6. 物語の終わり、シンデレラの結婚式で姉二人は白鳩に目を潰され、失明したところで物語が終わる{{br}}などが挙げられる。 *東京都立図書館社会科学係(リファレンス係)に調査を依頼しました。{{br}}ご協力ありがとうございました。 **教科書の観点から ***'''『国語読本 高等小学校用』 巻1'''(冨山房 1900.12)に、'''「おしん物語」'''という題名で、シンデレラと類似した話が掲載されている。 ***なお、この教科書は『日本教科書大系 近代編 第6巻 国語 3』(海後宗臣‖編纂:講談社 1964.4)にも所収しており、p.324-326に「おしん物語」が掲載されている。{{br}}解説によれば、富山房が文豪であった'''坪内逍遥'''に依頼し、それまでの教科書の調査を十分した上で、独創的に編集したもので、文学色豊かで、物語教材、韻文教材が多い。外国に関する教材が多く集められているのも高等科用読本の特色としている。しかし採録された経緯については記述が無かった。 *シンデレラの初めての最初の日本語訳についても調べてみました。すると、グリム童話のうち11編を翻訳した'''『西洋古事神仙叢話』'''(菅 了法‖集成社 1887.4)という本があがり、'''「シンデレラの奇縁」'''という名前で載っているようです。が、英語からの重訳であり、グリムという名は印されていません。また、翻訳というよりは翻案といった形であることも、グリムという名前を載せなかった理由ではないかと考えられます。 **明治時代の翻訳としては珍しい事ではないが、内容的には「灰かぶり」が「おすす」という名前に変わっており、そのおすすは着物に靴という珍妙な恰好で舞踏会に出かけてゆく。また、「悪魔」は「鬼神」と、「魔法」は「呪い」と訳されており、日本の昔話には魔法がなかったことを示している面白い資料ともなっています。 !!「近」「返」「道」などの部首、「しんにょう」は何画で書く? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}3画{{span_end}} *しんにょうの書き順は、上の点が1画目、左側のノコギリ歯のような部分が2画目、下のはらっている棒が3画目。 !!小説「或る女」の作者は? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}有島武郎{{span_end}} *有島 武郎(ありしま・たけお)は、日本の小説家。 *学習院卒業後、農学者を志して札幌農学校に進学、キリスト教の洗礼を受ける。1903年渡米。帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加。 *同人「白樺」において『かんかん虫』『お末の死』などを発表し、白樺派の中心人物の一人として小説や評論で活躍した。1916年に妻と父を亡くすと、本格的に作家生活に入り、『カインの末裔』『生まれ出づる悩み』『迷路』を書き、1919年には『或る女』を発表した。{{br}} *しかし創作力に衰えが見え始め、『星座』を途中で筆を絶つ。1922年、『宣言一つ』を発表し、北海道狩太村の有島農場を開放。1923年6月、婦人公論記者で人妻であった波多野秋子と軽井沢の別荘で心中。7月7日に発見されるが、梅雨の時期に一ヶ月以上遺体が発見されなかったため、相当に腐乱が進んでおり、遺書の存在で本人と確認できたほどだという。 *小説『或る女』は、1911年1月〜1913年3月の間に「白樺」にて連載していた長編。但し、最初は『或る女のグリンプス』という題が与えられていた。その後1919年、この『或る女のグリンプス』を改稿して『或る女』前編とし『有島武郎著作集』第八集として叢文閣より刊行された。{{br}}また、『或る女』後編については、同じく1919年、『有島武郎著作集』第九集として叢文閣より刊行された。{{br}}外的な要因によって運命が翻弄される、思い通りに行かない、というのではなく、むしろ自らの内面にある種子が皮膚を突き破り主人公を肥やしとして新たな生命を持ってしまうような、暗いそれでいて激しい行き方の一つのモデルが描かれている作品である。 *原題でもある『或る女のグリンプス』の『グリンプス』(glimpse)には、「チラッと見ること」「一目」、「一瞥」、「垣間見ること」などといった意味がある。