!!!○×問題 !!「暗夜行路」を書いた日本の作家といえば、志賀直哉である? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}○{{span_end}} *『暗夜行路』は志賀直哉の唯一の長編小説で、長期の構想を経て、1921年(大正10)から雑誌『改造』に連載され、1937年(昭和12)に完結するまで17年の歳月が費やされた。 !!マスメディアによって情報を伝達する「マスコミ」は「マスコミュニケーション」の略である? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}○{{span_end}} *言葉通り。英語ではmass communication。マスコミュニケーションとは、受信能力を有するすべての人々に公開されたコミュニケーション活動であり、寡占的状態にある大規模組織である送り手から、大量の不特定多数の受け手に対し、高度な機械技術体系を使って大量の情報・記号を一方的に伝達するコミュニケーション手段である。 !!小説「仮面の告白」「金閣寺」などで有名な作家は三島由紀夫である? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}○{{span_end}} *少し年配の方だと、1970年(昭和45)11月25日に自衛隊市谷駐屯地へ会員と共に日本刀を携帯して乱入し、舎弟と共に割腹自殺したことで記憶している方も多いのではないかとおもうが、三島由紀夫は東京生まれの小説家、劇作家であり、三島のニヒリズムを持った知的な文体は今日でも評価が高い。 {{br}}1947年(昭和22)に東大法学部を卒業した彼が1949年(昭和24)に書いた「仮面の告白」により、彼の作家としての地位が確立された。{{br}}その後1952年(昭和27)におけるギリシャ訪問を契機に、ギリシャ的健康への希求が生まれ、牧歌的な小説「潮騒」に行き着いたただけでなく、のちにボディビルで肉体を鍛える態度の伏線を形づくった。そして1956年(昭和31)に「金閣寺」で芸術的な一つの到達点をきわめた。 !!映画「魔界転生」で、窪塚洋介演じる天草四郎といえば島原の乱の指導者である? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}○{{span_end}} *島原の乱(しまばらのらん)は、江戸時代初期の最も大規模な一揆による反乱であり、幕末の動乱に至るまでの最後の本格的な内戦であった。島原・天草一揆ともいう。{{br}}寛永14年10月25日(1637年12月11日)勃発、寛永15年2月28日(1638年4月12日)終結。 *そして歴史上、島原の乱の指導者とされている「天草四郎」(本名:益田四郎時貞、当時14歳)だが、島原の住民が圧政に蜂起した事に呼応して蜂起した天草の一揆軍が、総大将として宗教的カリスマ性を持った彼を担ぎ出しただけに過ぎない。その後天草の一揆軍は、富岡城や本渡城などの天草支配の拠点を攻撃、三宅重利を討ち取り、富岡城は落城寸前まで追い詰められた。{{br}}が、本丸陥落寸前に九州諸藩の軍が到着した為に、後詰の攻撃を受けることの不利を悟り一揆軍は撤退。有明海を渡って島原半島に移動し、島原と天草の一揆勢と合流した。 *その後、両軍は島原城に押し寄せたが、その堅牢な防備に苦戦、後詰攻撃の危険が迫ったため撤退し、島原領民の旧主有馬家の居城であった原城址に篭城したのは頭の隅に覚えて・・・ないですかそうですかorz **ちなみに、「細川家記」「天草島鏡」など同時代の記録はすべて反乱の原因を年貢の取りすぎにあると書いているが、領主松倉勝家は自らの失政を認めず、反乱を起こした一揆がキリシタン信仰を結束の核としていたことをもって、これを反抗的なキリシタンの暴動と主張した。幕府も以後、島原の乱をキリシタン弾圧の口実としたため、島原の乱=キリシタンの反乱(宗教戦争)という一面的な見方が定着した。しかし実際には乱の終結後に松倉勝家が悪政を責められて打ち首に、寺沢堅高も失政をとがめられて減封となっているように幕府自身が反乱の原因をよく理解していた。しかし、それを認めることは、松倉・寺沢両家島原、天草に封じて統治を任せた幕府の失政を認めることになるため、幕府の公式見解もまた、この反乱はキリシタン反乱というものであった。 !!「三月」と書いて「さつき」と読む? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}×{{span_end}} *「さつき」は五月(皐月)。三月は「やよい」。 !!「一所懸命」と書いて、「いっしょうけんめい」と読む? !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}×{{span_end}} *「一生懸命」=いっしょうけんめい{{br}}「一所懸命」='''いっしょ'''けんめい **鎌倉時代、幕府と御家人の関係が語源であり「一所懸命」とは、自分の領地を頑張って守る、という意味の言葉である。{{br}}一方、「一生懸命」は、命をかけて一生頑張る、という意味の言葉である。{{br}}使い分けは現在では曖昧になっている。 !!!四択問題 !!'''「こんばんは」を方言で「おしまいやす」と言う地方は次のうちどれ?''' !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}京都{{span_end}} *夕刻の挨拶を示す京言葉であるが、近隣の地域、特に現在の滋賀県の方言にも混じっている(ようです。地元の方フォローよろしく) !!'''小説「トム・ソーヤの冒険」の続編、「ハックルベリー・フィンの冒険」著作は誰?''' !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}マーク・トウェイン{{span_end}} *マーク・トウェインはアメリカの小説家。本名サミュエル=ラングホーン=クレメンズ。西部を舞台として自然児の精神とユーモアに満ちた小説を口語体を主に用いて書いた。彼は恐らくその当時における最も人気のある著名人であり、ウィリアム・フォークナーは彼が「最初の真のアメリカ人作家であり、我々の全ては彼の相続人である。」と記した。スコットランド系フリーメイソンリーのフリーメイソンとされる。 *「ハックルベリー・フィンの冒険」は、1885年に発表された、最初のグレート・アメリカン・ノベルとして一般には知られている。また本書は、トム・ソーヤー(マーク・トウェインの他の三篇の作品の主人公)の親友であるハックルベリー(ハック)・フィンによって語られる、方言あるいは話し言葉で書かれた最初の小説の一つであり、優れた教養小説の一例でもある。 *余談だが、彼はハレー彗星が出現した1835年に生まれ、再びハレー彗星が出現した1910年にこの世を去った。 !!'''「風が吹けば( )が儲かる」儲かるのはさて何屋?''' !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}桶屋{{span_end}} *風が吹けば桶屋が儲かる(英:After wind's blowing, basinsmiths get money)とは日本のことわざで、あたかもバタフライ効果のように思わぬ所に思わぬ物事の影響が出ることの例えである。しかし現代では、その論証に用いられる例が突飛である故に、「あり得なくはない因果関係を無理矢理つなげて出来たトンデモ理論」も指すことが多い。 *経済学においては、ある主体の支出が様々なプロセスを経て何倍もの支出になる乗数効果や、投資が投資を生む波及効果のたとえとして持ち出される場合がある。 *この語源には諸説あるが、江戸時代の浮世草子「世間学者気質(かたぎ)」だと言われている。 この俚諺を展開すると、以下のような論証があると言う。 **風で砂埃が舞い上がる。 **その風が目に入り、失明する人が増える。 **当時、視覚障害者が就ける職業は三味線弾きぐらいだと思われていた。故に、三味線弾きが増える。 **大量の三味線を製造するため、ネコが大量に殺される。 **天敵が減ったことによりネズミが大発生する。 **ネズミは桶を食害する。 **桶の売り上げが上がる。 **故に、桶屋が儲かる。 !!'''「キッチン」といえば誰の小説?''' !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}吉本ばなな{{span_end}} *吉本ばなな(1964年7月24日生)は日本人の小説家。東京都生まれ。作品は多くの外国語に翻訳され、世界各国で出版されている。 *著者は1987年、設問にある作品「キッチン」で文壇デビューし海燕新人文学賞を受賞、そして翌1988年、福武書店より刊行された単行本『キッチン』は泉鏡花賞を受賞し、ベストセラー作品となった。 !!'''「うぬぼれ」と読む熟語で正しいのは、次のうちどれ?''' !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}自惚{{span_end}} *うぬぼ・れる 【{{sup ▽}}自{{sup ▼}}惚れる/{{sup ▽}}己{{sup ▼}}惚れる】{{br}}(実際以上に)自分をすぐれていると思って得意になること。「天才だと―・れる」{{br}}{{sup 三省堂提供「大辞林 第二版」より抜粋}} !!'''日本人で初めてノーベル文学賞を受賞したのは誰?''' !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}川端康成{{span_end}} *川端康成は、日本の作家、小説家。横光利一と共に新感覚派の代表として活躍した。{{br}}1968年に日本初のノーベル文学賞を受賞した。代表作として、伊豆の踊子、雪国がある。 !!'''小説「異邦人」の作者は誰?''' !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}カミュ{{span_end}} *アルベール・カミュ(Albert Camus)は、フランスの作家。1913年、フランス系アルジェリア人の子としてアルジェリアに生まれる。アルジェ大学卒業後、新聞記者となり、第二次世界大戦の反戦記事を書く。1942年「異邦人」が絶賛され、「ペスト」等で作家としての地位を固めるが、1951年「反抗的人間」をめぐりサルトルと論争し、次第に孤立してゆく。1957年にノーベル文学賞受賞。 *「異邦人」(L'ETRANGER)は、カミュを一躍文壇の寵児にしたの処女作品であり、1942年にかれた。 **粗筋:ムルソーのもとに「ハハウエノシヲイタム、マイソウアス」と、母の死を知らせる電報が届く。はた目からはムルソーが母の葬儀でも悲しんでいる様子が見えない。何事もなかったかのように翌日には海水浴に行き、女と戯れる…。 *余談だが、セイン・カミュの大叔父である。 !!'''「三四郎」「それから」「門」の三部作を書いた小説家は?''' !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}夏目漱石{{span_end}} *「三四郎」でピンときて普通に答えられる人が多いと思う。紛れもなく旧千円札の顔でもあった夏目漱石の作品である。 *夏目漱石は、日本の小説家、英文学者。『吾輩は猫である』『こころ』などの作品で広く知られ、森鴎外と並ぶ明治時代の文豪である。{{br}}大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。東京帝国大学英文科卒業後、松山中学などの教師を務めた後、イギリスへ留学。帰国後、東京帝国大学講師の後、『吾輩は猫である』を「ホトトギス」に発表。これが評判になり、朝日新聞社入社後は『虞美人草』『三四郎』などを朝日新聞に掲載。当初は余裕派と呼ばれた。 *「三四郎」(1907年)「それから」(1909年)「門」(1910年)の三部作は、1907年、夏目漱石が朝日新聞社に入社して職業作家としての道を歩み始めてからすぐ書かれたものである。しかし、三部作目にあたる『門』を執筆途中に胃潰瘍で長与胃腸病院に入院。同年8月、療養のため伊豆の修善寺に出かけ転地療養する。しかし、そこで大量に吐血し、生死の間を彷徨う危篤状態に陥る。これが所謂「修善寺の大患」と呼ばれる事件である。 !!'''カタカナの「キ」元となった漢字は次のうちどれ?''' !{{span_begin style="color:red;font-weight:bold;"}}幾{{span_end}} *カタカナは、800年頃、文字を簡略表示させる目的で考案された物で、900年頃に画数の多かった「万葉がな」に代わるものとして考案されたひらがな同様、全て漢字がベースになっていて、ひらがなは1文字をくずしたもの、カタカナは1文字のうちのどこかの部分をくずしたもの、が多くなっている。そのため、カタカナは「片仮名」と書く。 *ちなみに、「き」「キ」共に、元となっている文字は「幾」である。